You should rather forget me than remember.

前田司郎作・演出『いやむしろわすれて草』を観に行ってきました。
青山円劇カウンシル#6 ~breath~ 『いやむしろわすれて草』 | Nelke Planning / ネルケプランニング

忘れな草という草があって、

私を忘れないでほしいという草だときいた、

だけど忘れてもいいよと思うときもあって、

むしろ忘れてくれた方が気が楽だ、と思っているときもある。

私のことなんか忘れてくれた方が気が楽だと、そう思いながら。

涙も出ない人たちの、ありふれた不幸の、ありふれた幸せの物語。


四姉妹と父親、そのまわりの人たちのお話。
ありふれた、何気ない、ふつうの会話がほとんどだけれど、変わらない毎日が永遠に続くと思っていたあの頃と、今では違っていて。
そのことをみんなどこかで感じながら、家族は生きてゆく。
本当の孤独は誰かといるときにおとずれる、という言葉の意味が観ていくうちになんとなくわかっていった。
登場人物みんなが、ひとりのままでは感じられないさびしさに打ちひしがれる。


会話のはしばしにくすっと笑いながらわりあい淡々と観ていたつもりだったのに、最後の場面、お芝居の終わりを感じ取った瞬間にかなしくてたまらない気持ちになった。もしかしたら通り過ぎていたかもしれない感情に突然揺さぶられてしまった。
しあわせもふしあわせも、とりわけ後者はこちらが心の準備をしてから迎え入れることなんてほとんど不可能だ。


青山円形劇場に行ったのは今回が初めて。
舞台演劇というと、板の上にいる人・板の上に在るものだけで表現がなされて、それをわたしたちが受け取るというイメージがあるし、今までもそうやって観劇してきたつもり。
ただ、舞台を360度客席で取り囲むという状況では、正面などあってないようなもの。実際に演者さんの背中を見つめる時間もなかなか多かった。どんな表情で話しているのか見えないからこそ想像で補う、つまり視ようとする方法もあるんだなーと。
ところ変われば芝居は変わり、こちらの見かたもまた変わる。


満島さんの顔がちっちゃすぎて、みてると必ず遠近感がおかしくなって目がヘンなんなっちゃうんだよ。
高木家の四姉妹はみんながみんなとびきり魅力的で、互いのことを想いすぎるためににっちもさっちも行かなくなってしまうのが余計に苦しかった。
「赤ちゃん」だった末っ子ですらいつの間にかオトナになって、自分に気を遣っている。気を遣われているのが申し訳なくて、そして自分だけが昔に取り残されているようでやるせない。それならば、わたしのことなんてむしろ、わすれて。


志賀廣太郎さんのパパ・オブ・パパっぷりになぜだかひどく安堵してしまう。
木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』の脳内キャスティング、ギフは誰だか決めかねていたのだけれど志賀さんかしら、やっぱり。ちなみにテツコは、奇しくも満島ひかり嬢なのですよ。

昨夜のカレー、明日のパン

昨夜のカレー、明日のパン